天竺めざして、引きこもる。

いまより知的で気楽に生きるために役立つ本を紹介します。

「自己」というしがらみを捨てる --「悟り」は開けない--

確固たる「自己」がないという劣等感

私は自己のことを話すのが苦手だ。自分のこと(興味・関心 etc)をうまく説明できないのだ。自分は他者に説明するような中身のない薄っぺらな人間なんだ、と劣等感をずっと、ずっと抱いてきた。

そんな私に、この本は刺さった。

※ちなみに著者の南直哉さんは、みなみじきさいと読むそうだ。私はずっとみなみなおやだと思っていた。

「自己」とは何かという皆が抱えている課題

人は生きている限り根源的に「なんとなくの不安」を抱えているという。それは、自分はなぜ、なんのために存在するのかという根拠がわからないからであるという。

皆、自分の意志で生まれたわけではないので、自分の根拠を見出せないのは当たり前。だが、この自分の根拠がわからないせいで、生きること自体が不安になる。

「自己」は幻想にすぎない

「自分の根拠は何か?」という問いの無意味さを自覚することが重要であるという。仏教ではそもそも「自己」なんてないという。だから、自分の根拠は何かという問いは意味はない。それよりも理由がわからなくても、自分が存在することを受け入れる決意をすることが、自己ではなく他者に関心を向けることが不安から解放される道だと説く。

自己がないという部分の理由については、ぜひ本書を読んでもらいたい。

ここで、言いたいのは確固たる自己を追い求めるというマインドを捨てるという選択肢がある、ということ。

夢や希望はいらない、他者の役に立つことをとりあえず積み上げる

自分の将来像・ビジョンを描いていることが「できる人」のイメージであり、それがない自分は劣っているという気持ちになってしまう。

ところが、ことさらに夢や希望を描くことは人を疲弊させる、ことになると直哉さんは言う。

未来にフォーカスするのではなく、今ある目の前のことを「とりあえず」日々積み重ねていくことで、大きく開ける視界がある。大事なのは自分の行いを通じて他人とどんな縁を築くか、それが自分の行く道を開く。今後を考えるのに重要なのは、「自分の好きなことをする」という選択基準を、「何をしたら人の役に立てるか?」という基準に転換するのが良い。

他者へフォーカスし自己から解放される

不安は、自己に執着するから発生する。他者に関心を向けることで自己への執着を消していく。

それには、他者とともにかかわるべき「問題」を見つめ、自分の損得を度外視して取り組むことが大事である。

まとめ

確固たる自分というものにこだわる必要はないという考え方を得られた。そして、根本的な不安感から解放されるには、自分に対する関心を下げることが大事。それには、他者へ関心を向けること。他者に関心を向けるには、他者への関心をもたざるを得ない状態に自分の身をおくこと(=他者とともにかかわるべき「問題」をみつめる)。これを実践していくのが、生き方を楽にするのかな。