【ネタバレ感想】エヴァっぽい何かを劇場で観てきた。-シン・エヴァンゲリオン劇場版-
※がっつりネタバレなので、映画未視聴の人は、とりあえず「鑑賞前の方への参考(事前におさえておくとよいもの)」の章を読んで映画館へGO。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を観た。閉幕直後の印象は、
「ん、駄作......?」という微妙なものだった。
<2021年8月21日 追記>
アマプラでシン・エヴァンゲリオンの配信が始まってました。
つまらないわけではないが、前作ほどの衝撃を受けなかった。Qを観た際には、ダイソンで魂を根こそぎ吸引されたように”からっぽ”になった。
レイトショーで観たのだが、放心の足では終電に間に合わず、劇場近くのネカフェに泊まった。
それに比べ今作では別段、心にガツンとくるものがなかったので、
「シン・エヴァはもの足りない。ダイソンどころか、これじゃハリケーンスピンダスターだ。」という印象になってしまった。
だが、時間が経つにつれてだんだんと、
「シン・エヴァも結構ありなんじゃね?」と思い直すようになった。
改めて旧劇も含めたエヴァと過ごした月日をしみじみと思い返していくと、旧劇から新劇に至り、シンジが精神的にめっちゃ成長していることに気づいた。そして、その成長を自分自身の変化と重ね合わせた時、非常に感慨深いものがあった。
一言でいうと、
「大人になったな。シンジ」by 碇ゲンドウ
に尽きる(俺もおっさんになったぜ、シンジ)。
さて前置きが長くなったが、この記事では、
※ 「エヴァっぽい何か」とは、劇中で北上ミドリというギャルギャルしい子の発言からの引用。シンエヴァンゲリオンを表現する言葉として、言い得て妙だなと”じた。
シンジの精神的成長ー旧劇と新劇の比較ー
旧劇のシンジは現実を受け入れた
旧劇版エヴァで描かれていたものは、
どういうことか、具体的に見てみよう。
「あるべき世界」と「現実」とのギャップについて
シンジは父ゲンドウに愛されていないと感じ苦しみ、愛されたいと願っている。
一方で親は子供を愛すべきなのに、なぜゲンドウは自分を愛してくれないのかという憤りを感じている。
「愛されたい」という気持ちがシンジの素直な気持ちであるのに対し、「親は子供を愛すべきなのに」は、シンジもつ「あるべき世界」のルールである。
シンジは、ゲンドウから愛されないことそのものにも、もちろん苦しんでいるが、「親は子供を愛すべきなのに」というルールが守られていないことにも囚われていて、二重に苦しんでいる。
次に友人関係に目を向ける。
クラスメートのトウジは、エヴァの戦闘で妹にけがを負わされたため、パイロットであるシンジを殴る。
このときシンジは、
「僕だって乗りたくて乗っているわけじゃないのに」
と、不貞腐れたセリフをトウジに向ける*1。
理不尽だと感じるシンジの感情は至極もっともであるが、自分が置かれている背景や事情を理解する責任を他者に丸投げしている点が、他者と理解しあうチャンスを遠ざけることになっている。
これも、「なんでわかってくれないんだ」=「みんな僕のことを理解すべきだ」という、シンジにとってのあるべき世界のルールがあるからだ。
このエピソードは、シンジの辛さを理解したトウジから歩み寄ったことで、シンジとトウジに友情が芽生えた*2。
こんな感じで
序盤の展開は、自分ルールから外れた場所に世界の素晴らしさがあることに気づくとい展開が多いため救いがあるが、後半は、他者も自分ルールを持っており、それぞれが世界に対して自分ルールの順守を求めるという構図になるため、暗さが深まる。
旧劇のゴールは現実を受け入れるところ
そんな辛い出来事にもまれつつも、旧劇のラストでは
「自分ルールは世界にはなかなか受け入れられないし、みんながそれぞれの自分ルールを持つからわかり合うのは難しい。
それでも人と関わり合たいよね」という感じで、自分の都合通りにいかない現実を受け入れ、むしろ愛することができるようになるところで完結した*3。
新劇のシンジは世界にコミットする
旧劇では現実を受け入れたところで終わりであったが、新劇はその先を語ろうとする。
人間関係の分かり合えないという部分をデメリットではなく、むしろ良いものであるとして積極的に肯定していくスタンスに変わったと感じる。
また、受け入れた現実に対して、どうやって立ち向かっていくかを描いたのが新劇であったように思う。
どういうことか、具体的に見てみよう。
旧劇と同じ問題「無価値な自分」に囚われるシンジ
新劇の世界が、旧劇後に再構築された世界だと考えると、序・破までの前向きな展開は現実を受け入れたことを実感できる。
(いや、俺だってアスカが"ケンケン"言い出しても、こらえて何とか観てるんだから、おめーも頑張れよ!)
これは旧劇でシンジが直面した課題のリフレインである。
僕は…ダメだ。ダメなんですよ…。ヒトを傷つけてまで、殺してまでエヴァに乗るなんて、そんな資格ないんだ。
僕はエヴァに乗るしかないと思ってた。でもそんなのゴマかしだ。
何もわかっていない僕にはエヴァに乗る価値もない。
僕にはヒトの為にできることなんて何にもないんだ。
アスカにひどいことしたんだ。カヲル君も殺してしまったんだ。
優しさなんかかけらもない、ズルくて臆病なだけだ。
僕にはヒトを傷つけることしかできないんだ。
だったら何もしない方がいい!
こんな感じで、シンジの鬱展開は旧劇で散々見飽きているので、シン・エヴァで同じ展開が来たときには、「またか」と辟易した。
だが、シン・エヴァンゲリオンが真骨頂を発揮するのはここからだった(帰らなくてよかった)。
旧劇では、なんやらようわからんうちに、
「僕はここにいてもいいんだ!」*4
となって、鬱から立ち直ったが、シン・エヴァンゲリオンではきちんとリアルな対話の中で立ち直る様子が描かれる。
「世界における自分の価値は?」という呪縛から解放されるシンジ
無気力状態ある時シンジは、ある時レイに心の内を打ち明ける。
「自分はやることなすこと裏目に出る。だからもう人と関わりたくない。なのにみんな優しすぎる」、と。
みな人間性や道徳心が高いから他者のために頑張っているのではなく、他者に尽くすことで自分の生に自信を見出している。
みんな、ただただ自分の好きなもののために頑張っている。
そういう人間が持つ本能は、時に優しさになり、時にエゴにもなる。
そして旧劇のシンジと新劇のシンジの成長をを一言でまとめると、
といえる。
このシンジの成長が、私自身のモノの見方の変化とシンクロし、感慨深いおもいになった次第である。
鑑賞前の方への参考(事前におさえておくとよいもの)
①新劇場版 序・破・Qはアマゾンプライムビデオで観れる
<2021年8月21日 追記>
アマプラでシン・エヴァンゲリオンの配信が始まってました。
エヴァンゲリオンの新劇場版 序・破・Qはアマゾンプライムビデオで視聴可能。
参考に、30日間無料体験申し込みのバナーを貼っておく。
②シン・エヴァンゲリオンを観る前には漫画版最終巻を読んでおくのをお勧め
特に、スピンオフ的に掲載されている「EXTRA STAGE 夏色のエデン」は必見。学生時代の碇ユイと真希波・マリとのかかわりが明らかになる。
映画内でもこのエピソードからの引用がみられる。
【自己について考える関連記事】
【世界について考える関連記事】
*1:アニメ版新世紀エヴァンゲリオン 第参話 鳴らない、電話
*2:アニメ版新世紀エヴァンゲリオン 第四話 雨、逃げ出した後
*3:新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に
*4:アニメ版新世紀エヴァンゲリオン 最終話 世界の中心で愛を叫んだケモノ