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天竺めざして、引きこもる。

いまより知的で気楽に生きるために役立つ本を紹介します。

天竺めざして、引きこもる。

【ネタバレ感想】エヴァっぽい何かを劇場で観てきた。-シン・エヴァンゲリオン劇場版-

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シン・エヴァンゲリオンを観た。

 

このブログの主旨に沿わないので、記事にすることをためらったが、

観た直後の生な気持ちをどうしても、言葉に書き残しておきたくて、あわよくば他者のの感想を聞きたくて、記事にしたため、公開することにした。

 

完全なネタバレ記事なので、まだエヴァを見ていない方は、読まないでください。

今回のエヴァは特に、他者の意見による先入観を持たない状態でぜひ観ていただきたい。なので、絶対に未視聴の方には読んでほしくない。

 

逆に、観てきた人とはぜひとも意見を交換したいので、この記事にコメントいただけると嬉しい。

 

 

 

 

以降の記述から本格的にネタバレ前回になるので、再三の繰り返しになるが、未見の方は読まないでください。

 

 

エンドロールが流れた瞬間

「まだ、いろいろ飲み込めてはいないけど、これは面白くはないよな。たぶんこれから、1つ1つの場面を思い返していくたびに、つまらなかった具体的証拠が次々上がっていくパターンだな。」と感じた。

 

そして、「このような非常にナイーブな状態でネット等でさまざまな感想に触れてしまうと、それらをあたかも自分の感想だったと記憶を上書きしてしまう」という危機感を覚えたので、なるべく早く、思いのたけを記録しておきたいと考え、感想をここに記す。

 

見た直後、近くの喫煙所で行ったブレスト

  • まず、とにかく消化不良。期待値の問題か。
  • アスカのNTRエピソード必要だった?ねえ?
  • マリとシンジがカップリングされてたけど、なにそれ?
  • 劣化版まごころを君に、じゃね?
  • 人物の心理描写と行動に説得力がない。脚本に動かされている感じ。
    ・アスカが執拗にシンジにつらくあたる理由が不明。
    ・トウジとケンスケがいまいち何考えてるかわからん。シンジのことを思いやっ
     ているような、それっぽい台詞を語るが、どうもよそよそしい。他人行儀。ケ 
     ンスケについてはわからんでもないが、トウジがなんかドライな感じがする。
    ・シンジの落ち込みはお家芸で、またかという気持ちはあるものの否定はしな
     い。問題は、立ち直った理由がいまいち不明。
  • ミサトもさぁ、「シンジくんの業を背負う!」的な宣言があったけど、どうもしらけちゃうんだよね。
  • ミサトと加地の子供はなんの意味があった?
  • 全体的に、セリフがくさいというか、くどいというか、違和感。
  • シナリオがよくわかんなかった。
  • 結局、まごころを君にとマンガ版最終回の折衷で、目新しさがなかった。

 

ストーリーラインに沿って感想を書く

ストーリーラインに沿って感想を書き残す。詳細が把握できなかった部分があること、すでに記憶があいまいになっている部分があること、のため記載に誤りがあるかもしれない。誤りはコメントなどでご指摘いただけると幸いです。

 

リツコ、マリ、マヤ、若い男たちが荒廃したパリで作戦を展開している。マヤと若い男たちが、一生懸命PCで解析をしているようだが、なにをしているかはよくわからなかった。そうこうしていると、NERVの刺客である、使途を魔改造した集団がやってきた。エヴァにのったマリが応戦。窮地に陥るが、何とか撃退し、解析作業も完了したようで、パリの街が復元された。Qの序盤の戦闘に比べて迫力に欠ける。

 

一方、アスカ、シンジ、レイは放浪しているところを、トウジに救われる。トウジが生きてたのはとても嬉しい。

トウジの家にて。いじけてだんまりを決め込むシンジに対して、トウジは責めたり、無理に口を開かせようとはせず、かいがいしく世話を焼いてくれる。トウジと結婚して嫁になったひかりや、ケンスケが登場するも、かたくなにだんまりを決め込むシンジ。

 

いい加減見飽きた光景だなと思うが、後半のカタルシスへの布石と考え我慢我慢。

 

ひかりが作ってくれたご飯にも箸をつけないシンジに、業を煮やしたひかりの親父がキレるも意に介さないシンジ。見かねたケンスケが自分のもとで引き取ることを申し出る。

 

一方、レイは、

レイ「(ねこまんまを食べて)口の中が変!」

トウジ「それは美味しいっていうこっちゃ」

レイ「(トウジの子供を見て)人間なのに小さい、これが”可愛い”」

などと、幼児プレイを満喫し、すっかり鈴原家に溶け込んだので、しばらく鈴原家に居候することに。

レイのこのくだりも、破で見飽きてるよな~


ケンスケの住処についたシンジ。そこにはアスカがいた。この辺からいや~な感じはしていた。

 

アスカは裸体をシンジに見せつけ、喜びなさい!、的なことをのたまっていた。それを見たシンジは嘔吐。どういうこっちゃ(実際には、アスカの首にチョーカーがつけられているのを見て、カヲルの最期が想起されたからです)。

 

それはいいんだけど、ケンスケに裸を見られても平然としているアスカ。ケンスケも平然としている。

 

極めつけは、アスカの「けんけん」発言。

 

いや~まさか、それはないよね。勘ぐりすぎだよね。。。いやーな感じ。

 

その後のシンジは、飯も食べずにひたすら胎児のポーズでうずくまっている。業を煮やしたアスカは、シンジに馬乗りになってカロリーメイトみたいなものを口に詰め込む。

 

あらいいですね~と思っているのは視聴者だけで、傷ついたシンジは家出をする。

向かった先は、ネルフの跡地。毎日ここで体育座りを決め込むシンジ。ツンデレアスカは、ばっちり居場所は抑えていた。

 

さて、鈴原家で居候をしているレイは田植えの仕事に参加させてもらっていた。仕事を通じて村の人と関わることで、様々な感情やそれを表現する言葉を覚えていく。そして、そこに自分の居場所があるということを実感しだす。

新劇場版のレイが他者とのかかわりに積極的であるのは、旧劇のサードインパクトで他者と関わることを決意したシンジの意志を継いでいるからなのだろうか。

 

 

ある日レイはケンスケの住処にシンジを訪ねにやってくる。家出中のシンジはおらず、アスカが応対。シンジがネルフ跡地にいると聞き、向かおうとするレイにアスカは、

綾波シリーズは、シンジのことを好きになるようにプログラムされているのよ」

と、告げる。それでも良いと思うと、レイはいう。

見た時には、ふーんそうなんだと流してしまったが、これは伏線となっていて、もう一回みるときに描写をしっかり見返したい場所なのだ。

 

ネルフ跡地を訪れるレイ。拾ったウォークマンをシンジに返すが、いじけたシンジはぶん投げてしまう。それでもレイは毎日、シンジのもとを訪れる。

 

Qで、レイのもとに本を毎日届けていたシンジとの対比となっている。あの時のシンジは自身の寂しさを埋めるためにレイのもとに通っていたが、今回のレイは心からシンジのためを思って通っている。

 

ある時シンジは、レイに心の内を打ち明ける。自分はやることなすこと裏目に出る。だからもう人と関わりたくない。なのにみんな優しすぎる、と。対してレイは、みんなシンジ君が好きだからだ、と応えた

それを聞いたシンジは立ち直ることが出来た。

 

ん~、ここがね、わからんのですよ。たしかにトウジやケンスケたちに優しくされているし、アスカも発言は辛辣でもシンジを面倒見てくれていて、自分が周りから愛されていることは十分に感じていると思うんだよね。むしろ、その愛情が辛いというか、愛情に報いることが出来ない事が辛いんだと思うんだよね。要は、自己効力感が最低になっている状態。そういう状態のときに、みんなシンジ君のことが好きだ、と言われてもかえってとどめを刺される気がするんだよなぁ。

と、思ったが記事を書き終えたうえで気づきがあった。

ここでシンジが悟ったのは、みんな自分の「好きだ」という気持ちに素直に生きているんだということ、自分が役に立つか、自分が価値があるか、という指標ではなく、自分が好きなものに対してひたむきに貢献しようとしている、ということ。自分の気持ちの向け先が自身にばかり向いていたことに気づかされたのだと思う。自分以外に思考を向けることで、袋小路から解放されたのだと思う。

 

それからのシンジは、ケンスケの仕事を手伝ったり、トウジの仕事を手伝ったりする中で、みんなの思いや、自分が眠っていた間のことに触れる。

シンジの琴線に触れたのは次の2点か。

・ミサトが、ニアサードの際にシンジのエヴァへの搭乗を許可し、その結果ニアサードの責任をシンジに負わせる羽目になったことを後悔していること(ケンスケの語り)。

・トウジが自分のできる範囲のことを精一杯行い、周囲に貢献していること、そして自分の行いに責任を持ちたいという発言。

 

ここは自分をシンジに重ねて、シンジが何を感じたのかを勝手に述べる。

おそらく、自分の内面にフォーカスし続けても活路は見いだせないこと、自分の中にある倫理観を至高のものとし、そこから外れたものは、自身も他者もすべて否定する、そういうドグマを捨て去ることが出来たのだと思う。

 

周囲のために頑張っている他者を見ると、非常に立派に見える。逆に同じようにできない自分が非常に矮小な存在に思える。

 

だが、みな人間性道徳心が高いから他者のために頑張っているのではなく、他者に尽くすことで自分の生に自信を見出している。そんなことを感じたのではないだろうか。

 

先ほどの綾波の発言にも通じるが、みんな、自分の好きなもののために頑張っている。そういう人間が本来持つ、美しくもありエゴにもなる、そういう人間らしさを醜さも含めて、愛おしいと感じ、受け入れることが出来たのではないだろうか。

 

そうした、つかの間の穏やかな日々も終わり、ゲンドウ・冬月は、フォースインパクトに向けていよいよ行動を開始した。

シンジは、アスカとともにヴンダーに戻ることを決める。シンジは隔離部屋に入れられるが以前のような悲壮感はない。

最後の作戦になるだろう出撃の前に、アスカ(とマリ)はシンジを訪ねる。

アスカは、なぜ自分がシンジのこと殴ろうとしたかわかるか、とシンジに問う。

シンジは、アスカが使途に汚染された際に、救うことも見捨てることもせず、決断から逃げたからだ、と応える。

アスカは、ちっとはあんたも大人になったじゃない、と応じ、シンジのことが好きだっった、でもあんたより先にオトナになっちゃった、と告白。

 

ここで視聴者は、一足先にフォースインパクトを迎えたわけだが、全然CHA-LA HEAD-CHA-LAなシンジくん。視聴者とのシンクロ率は0である。

 

そして、カヲル(の幻影?)がシンジに語り掛ける。自分のために生きていいんだよと、シンジはなにかを悟ったように見える。

 

出撃したアスカは、なんやかんやで13号機にたどり着き、やりを刺してフォースインパクトを止める寸前まで迫るが、なんと自身のATフィールドに阻まれてしまう。かくなるうえは、自分の使途の力を解放して、ATフィールドを破ろうとするも無念。エヴァに取り込まれてしまう。

 

撃墜されたヴンダーのもとに(? この辺記憶があいまい)、ゲンドウが現れ、ミサトとリツコと対峙する。リツコは何らの葛藤もなく、ゲンドウに銃撃を浴びせかけるもネブカドネザルの鍵の力で人を超越したゲンドウには無効であった。

ここは、非常にメロドラマであった旧劇との対比が笑いを誘う。

 

衝撃の事実として、式波も綾波同様クローンであったことが明かされる。

 

そうか、だから綾波との対を意味するために、式波という名前になったのか。

そして、式波シリーズもシンジを好きになるように、プログラミングされているんだ。

それに気づいたアスカは、シンジに対する好意の感情に素直になれず、シンジに悪態をついていたんだ。

いや、アスカ可哀想すぎるだだろ。なんでこの作品は、アスカにこうもつらく当たるのだろうか。

 

 

シンジは、初号機に乗ることを宣言する。それを阻止しようとピンク髪ギャルとトウジ妹が立ちはだかる。

 

トウジ妹は、シンジに対する複雑な思いを吐露する。ニアサードについてシンジには責がないことを理屈ではわかりつつも、色々なものを失ったやり場のない悲しみ・怒りをシンジに向けざるを得ないという葛藤。とにかくインパクトは、自分たちにもシンジにとっても耐え難い不幸を生む、だから、絶対阻止しなくてはいけない。

 

そんな思いからトウジ妹はシンジの動きを封じるために発砲する。銃弾はかばおうとしたミサトの脇腹に当たる。

なんか、2時間ドラマの終盤で、犯人が自白する崖のシーンのような光景。

お涙頂戴シーンがありつつ、シンジは初号機に乗り裏宇宙へ向かい、ゲンドウと対峙する。裏宇宙は人間に知覚できないから、LCLが記憶に基づいた映像を映すという理屈で、旧劇の補完シーンのような描写になる。

いよいよ、父と子のガチンコが対決がみられるとめっちゃワクワクした。

 

初号機(シンジ)と13号機(ゲンドウ)との格闘が繰り広げられる。CGがゲームのワンシーンみたいで安っぽい。ミサトの部屋で、戦うシーンがあるが狙い過ぎてて寒い。

 

雌雄は暴力で決するのではない、というゲンドウの発言で、シンジとゲンドウ対話形式描写が変わる。例によって電車のなか。そこでは、ゲンドウの不幸自慢感情の吐露がなされる。

要約すると、人付き合いが苦手で、でもユイちゃんだけがわかってくれて、でも死んじゃって、辛い、まぢ無理、会いたい、んん-補完!ということらしい。

 

それを生温かい目で見守るシンジであった。

 

そんな中、ミサトは自分の命と引き換えにフォースインパクト阻止に必要な槍を生み出した。槍を受け取ったシンジは素直な感謝を述べ、ミサトの意志を引き継ぐ決意をする。

 

そんなシンジを見たゲンドウは、「人の思いを受け取れるようになったか、大人になったなシンジ(ぴしゃ」

素直に感動した。旧劇ではミサトの思いを受け止められなかったんだよな。重かったんだよな。ほんと人の想いを受け止められる度量を持てるようになることが成長なんだな。

 

その後シンジは、アスカ(の魂?)のもとへ行く。そこは旧劇の最終場面と似た浜辺で、旧劇と似た格好だけど謎に露出が増しているアスカ。シンジは好意を示してくれたことへの感謝とケンスケと幸せにね、的なことを告げる。あくまでアスカに対してはドライなシンジ。

 

そしてカヲルとの語り合い。この世界が何度も繰り返されていることを暗示させる発言と、カヲルがシンジに対してなにかしらの自分の希望をゆだねていたことがわかるが、

ここはよくわかんなかった。もっかい見て振り返りたいところ。

 

いよいよ、フォースインパクトを阻止するために、槍を自らに刺そうとするシンジ。そこで初号機中からユイが登場、シンジを解放し、13号機(に吸収されているゲンドウ)とともに、フォースを阻止するいけにえとなった。

結局、ゲンドウとユイが犠牲となり、人類を救った形となった。これはキレイまとめ方だとおもった。なるほどと。

 

そして無事フォースを阻止し、エヴァのない世界が再構成され、マリがシンジを迎えに来る。

 

場面は変わり、とある田舎の駅のプラットフォームに高校生っぽい風貌のシンジが座っている、そこへマリも登場し、ちゃんちゃん。

最終的にヒロインの座をマリがかっさらっていったが、んーどうなんだ?

 

一通り記事を書き終えて

見た直後と記事を書き終えた後とで、シン・エヴァンゲリオンに対する見方が変化した。見た直後の気持ちについては、「エンドロールが流れた瞬間」に記載しているが、ネガティブよりの茫然自失の感情であった。

 

しかし、記事を書くことで様々な気づきがあり、シン・エヴァンゲリオンに対する見方が変化していった。

 

いまのシン・エヴァンゲリオンに対する評価は、

「出会えてよかった」

という評価である。これは客観的に良作だったということではなく、いまの自分自身にとって、シンクロ率が高かったという感想である。

今回のシンジの成長と、今置かれている自分の状況が重なる部分が大きかった。

 

エヴァンゲリオンは、自分と自分以外の世界をどうとらえるか、という問いについて語る作品であると私はとらえている。

 

旧劇版エヴァで語っていたことは、自分が思うあるべき世界像と現実との間のギャップに対して、正面からぶつかった際に人はどんな葛藤を覚えるのか、ということであった。

思春期に構築されるそのような、観念は、非常に形而上学的で浮世離れしている。だから、混とんとしていて、矛盾に満ちた現実社会と対立が生じる。そして、そんな現実社会で平然としている他人を、鈍感に感じたり、もしくは矛盾に気づかない馬鹿だ、という思いを抱く。

 

そのような、思春期の感情を描いていたため、当時、中学生であった私を夢中にさせた(ブームになった当初は、私はもっと若くて、エヴァに触れたのが中学生の頃であった)。

旧劇のラストは、そんな矛盾に満ちた現実を受け入れ、愛することができることで完結した。

 

一方、新劇は、その先を語ろうとする。自分も他者も矛盾に満ちた現実社会の一部であり、観念的な倫理や道徳では到底是認できない存在であることを積極的に肯定し、その責任を引き受けることができるようになるまでの過程を描いた作品であった、と理解している。

それが、会社員となり働き出して数年たった今現在の私の世界に対する見方と、よくにかみ合い、感慨深いおもいになった。

 

最後に

この気持ちはなんだろう。

見た当初は、なんだこれ、駄作とは言えないが、よくもないだろうこれ、という印象だったが、この記事を書いているうちに、これ名作なんじゃね、という感じに印象が変わった。

 

観てすぐにはシンジやアスカの気持ちがよくわからなかったのが、この記事を書く中で少しずつ見えてきて、納得のいくものに思えてきたことが変化だと思う。

 

ただ、まだまだストーリー上わからなかった部分や、ゲンドウやマリの気持ちがいまいちくみ取れていない部分がモヤモヤしている。

 

もっかい見るか。こんな感じで、観るものにもやもやを植え付け、中毒にさせるのがエヴァンゲリオンのすごいところだ。