読むだけで元気になる!岡本太郎の魂の名言 -自分の中に毒をもて(岡本太郎)-
岡本太郎の著作「自分の中に毒を持て」から、読むだけで元気になる魂の名言を紹介する。
この本は、私のバイブルだ。
なぜだか、読むだけで、
自分の人生がドラマティックに思え、力が湧いてくる。
岡本太郎は闘いの人だ。既成概念、体制、そして自分自身、精神の自由を阻害するあらゆるものへ立ち向かい続けた。
そして生きるというものについて真摯に向き合い続けた人だった。
私は、なにごとにも興味がわかなくなったときにこの本を読むようにしている。
すると、日常生活で染みついたしがらみが抜け落ちさっぱりとした気持ちになる。
そして、また頑張ろうと思えるようになる。
今回は、本書の中でとりわけ、心にグッとくる名言を紹介する。
幸福
昔、”しあわせなら手を叩こう”という歌がはやったことがある。若い連中がよくその歌を合唱して、”手を叩こう”ポンポンなんて、にこにこやっているのを見ると猛烈に腹が立って、ケトバシてやりたくなったもんだ。
いきなりバイオレンス......。芸術のみならず、リア充も爆発しろということか?!
たとえ、自分がうまくいって幸福だとおもっていても、世の中にはひどい苦労をしている人がいっぱいいる。この地球上には、辛いことばかりじゃないか。
(中略)
人類全体の痛みをちょっとでも感じとる想像力があったら、幸福ということはあり得ない。
自分が良い状態だからといって必ずしもみんながそうなわけではない。それを忘れてはいけない。
危険なこと、辛いこと、つまり死と対面し対決するとき、人間は燃えあがる。それは生きがいであり、そのときわきおこるのがしあわせではなくて、"歓喜"なんだ。
岡本 太郎. 自分の中に毒を持て (青春文庫) (Kindle の位置No.635). . Kindle 版.
この境地を味わったことはないので、どのような感覚なのかはわからないけれども、
漫然と日常をおくる中で見出す楽しみとは別次元の、感覚なのだろうか。
自信
自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。
自己肯定感が低くて、自信に飢えている私からすると目からうろこ。
まさに、コペルニクス的転回。
太郎先生からすると、自信なんて他人と自分の優劣を比較する卑しい考えだという。
弱いんなら、弱いんだとおもって平然としてればいいとのこと。
失敗したらなお面白いと、逆に思って、平気でやってみればいい。とにかく無条件に生きるということを前提として、生きてみることをすすめる。 無条件に生きれば、何かが見つかる。だが、必ず見つけようとガンバル必要もない。
太郎先生は、何度もこういうことをおっしゃる。かっこよくやろうとか、うまくやろうとすることは卑しい。うまくいかないほうが良いと。
人間関係
なぜ、友達に愉快なヤツだと思われる必要があるんだろう。こういうタチの人は自動的にみんなに気を使って、サービスしてしまうんだろうけれど。それは他人のためというより、つまりは自分の立場をよくしたい、自分を楽なポジションに置いておきたいからだということをもっとつきつめて考えてみたほうがいい。
もっと厳しく自分をつき放してみたらどうだろう。
耳が痛い。とくに「自動的に」という部分。
そう、もう長い間の習慣でもう体にしみついてしまっているのだ。
他者と接し方、その時の自分の意識について振り返る習慣をもたないとな。
友達から孤立してもいいと腹をきめて、自分を貫いていけば、ほんとうの意味でみんなによろこばれる人間になれる。
(中略)
そういう習慣とか役割というものは、なかなか変えようとしても、すぐに変えられるものではないだろう。
たとえ、変えられなくても、今日からの自分は今までの自分とは違うんだと意識のなかで覚悟を決めてしまうのだ。そして、たとえ今まで通りの行動をしても、そうすればもう軽薄に見られることはないはずだ。
孤立してもいい、そしてすぐに変われなくてもいい。
でも、変えようとすると「あいつどうした?デビューした?」って言われないかな?
矛盾は結構だ。
矛盾を、むしろ面白いと考え、そのズレを平気で突き出せばいいのだ。
ありがとうございます。こういう、発想が本当に好きなんだ。心が自由になる。
社会と自分
激しく挑みつづけても、世の中は変わらない。
しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。
世の中が変わらないからといって、それでガックリしちゃって、ダラッと妥協したら、これはもう絶望的になってしまう。そうなったら、この世の中がもっともつまらなく見えてくるだろう。
とにかく 燃える言葉。日曜の夜、もしくは月曜の朝に服用すべき言葉。
自分を認めさせようとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。
今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。
アイデンティティを、他者からの評価や合理的な尺度においてはいけない。
ところが科学主義・合理主義は割り切れたものだけしか問題にしない。そのシステムによって動く現代社会、産業、経済機構のなかで、すべては合理的に、また目的化される。"生きる"ということの非合理、猛烈な情感は顧みられない。ほとんどの現代人は己の存在のなかの芸術家を圧殺している。だから人々は疎外され、知らず知らずに絶望しているのだ。
絶望しているということさえ知らないほど、深く、空しく。
漠然としたむなしさを言い表してくれた言葉。一つ前の言葉と合わせて、自分の生き方を見失いそうになった時に何度も振り返る。
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