【権力とは】武士ってなんで源平なの?もやしっぽくない? -武士の起源を解きあかす ──混血する古代、創発される中世(桃崎有一郎)-
武士の力の源は何か?
武士の成立起源について、
「地方の有力者たちや荒くれ者たちが朝廷の支配に不満をいだき、力ずくで政権を奪い取った。」
そんなイメージを持っているだろうか。
しかし、武家の代表格である平氏と源氏はともに天皇の子孫の家系である。
皇族からは離脱しているものの、地方の豪族たちとは血統の貴種性が段違いの存在である。
平氏や源氏の下には、地方で何世代にもわたって地位を築いてきた地場の有力者たちがいる。
それらの人々は、なぜ自らが主導するのではなく、平氏や源氏に付き従ったのか。
どうやら武士が発生し朝廷を凌駕する権力を獲得するには、武力だけでは足りなかったようだ。
今回紹介する「-武士の起源を解きあかす ──混血する古代、創発される中世(桃崎有一郎)」(以下、本書)では、いまだ謎につつまれている「武士の起源」の解明を試みている。
武士が発生する過程を追うことで、支配力を形成するにはどのような要素が必要となるのかについて重要な示唆が得られる。
武士の起源を解き明かす
本書によると、実は歴史学ではいまだ武士の正体・素性は不明であり、しかも武士の専門家の間で、武士の起源の研究は放置されている状態にあるという。
筆者の桃崎有一郎氏は武士の専門家ではない。しかし武士の正体・素性が不明なままでは日本中世史への理解は大きく先に進めないとして、自身で調べることを決意したそうだ。
本書が解明を目指すのは、「武士がどこからどう生まれてきたか」つまり武士の起源に対する問いだ*1。
一面的な見方が武士の実像を見えなくさせる
冒頭のように、「地方の有力者たちや荒くれ者たちが朝廷の支配に不満をいだき、力ずくで政権を奪い取った。」と考えると、中世で活躍した代表的な武士がいずれも、源・平・藤原氏などの貴種であることを説明できない。
また関東地方に初の(鎌倉)幕府が生まれた意義や独立性を強調しすぎれば、なぜ幕府が朝廷・天皇を滅ぼさなかったのか、室町幕府が京都に置かれたのかが説明できない。朝廷(中央)とのつながりが必要であったと考える必要がある。
一方で、武士が中央(朝廷)に依存していた点を強調しすぎると、なぜ初の幕府が京都に生まれず、朝廷と一度対決し天皇の生殺与奪の権さえにぎったのかも、地方に持った地盤の意味も見えなくなる*2。
このように、特徴的なある側面から武士の姿をとらえようとすると、矛盾する別の側面に突き当たり実態がつかめない。
どんな家にも武士へと転換した原点がある
代々世襲的に武士を輩出する一家(=「兵(つわもの)の家」)に生まれない者が、武士として振る舞っても結局はうまくいかない、という考え方があるようだ。
どんな武士の家系にも「兵の家」でなかった段階から、「兵の家」に転換した世代がある。その世代がどのようにして武士として認定されたのかという、原点を説明する必要がある*3。
武士誕生の経緯から見えてくる権力に必要なもの
本書では、「兵の家」でなかった家系が「兵の家」に転換する過程を追っていく。
さまざまな階層の者たちが繰り広げる群像劇が面白い。
- 数が増えすぎた皇族・貴族の子弟たちによる、生き残りをかけた地方の収奪競争が苛烈になる。
- それを抑制したいが成果がだせない無力な朝廷。
- 朝廷と王臣子孫との板挟みにあえぎ、生き残る処世術を模索する地方の有力者たち。
この過程で見えてくるものは、権力を形成するには非常に多岐にわたる要素をそろえる必要あることだ。
- 既存の支配層の無力化
- 新しい勢力の実務能力の獲得
- 能力を養うための余剰の経済力・時間
- 既存の体制における権威性(家柄や官位)の獲得
- 軍事力の獲得
- 新しい勢力を総称する概念の定着(今回の場合は「武士」という名称)
これらの要素が満たされて初めて支配者として台頭できる。
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