天竺めざして、引きこもる。

いまより知的で気楽に生きるために役立つ本を紹介します。

ビジネス書をいくら読んでも成果が上がらず絶望しそうな人へ

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「仕事で成果をあげたい、そのためにいろいろな本や教材をためしたが、どうしてもうまくかない。。。」という悩みに応える記事である。

 

巷には、問題解決思考や論理的思考に関する本や○○仕事術などの本が無数にある。私自身色々読みあさった。読んだときには「なるほど」と思うのだが、いざ実践しようとすると上手くいかず

 

「やっぱり俺って根本的に仕事が出来ないのかな。。。」

 

という絶望を繰り返して味わってきた。どうしても諦めきれず悪戦苦闘を重ねた末、

 

大事なことは2つあるという結論にいたった。

 

◆問題解決思考で大事な2つのこと◆
  1. 問題解決思考は理屈だけでなく訓練の数をこなす必要がある
  2. おかれた状況での自分の"真"の役割を見つけること

 

1.についてうってつけだと感じたのが、記事の一番下にリンクを張った「グロービスMBAクリティカル・シンキング」である。この本は、演習が豊富にあり、いまの自分の力を把握しながら練習を積むことができる。だがより重要なのは2.であると思っている。これがないと、結局あまり身につかないのではと考えている。

 

2.が具体的にどういうことかを、端的に説明する能力がないため、少々長いが、私の経験を語ることで代えさせていただきたい。

 

 

絶望の末、ビジネススクールを受講

仕事が終わらない。終わった仕事もトラブルを土産に帰ってくる。新しい仕事も次から次へ押し寄せてくる。

そして、スキルも成長もしなくても、年次が上がるとともに仕事の範囲と責任も自動であがっていく。

 

問題解決思考、論理的思考、○○仕事術など様々な本に手を読んだ。どれも示唆に富むことが書いていることはわかるのだが、自分の力として吸収し仕事に生かすことができない。

 

そんな折に、だめもとで、あるビジネススクールの講座に申し込んだ。10万円以上する講座で、「高っけー」と思ったが、このまま日々仕事をこなしていても解決できないという藁にもすがる思いだった。

問題解決思考は、スポーツだ。

最初の講義で、講師が「問題解決思考はスポーツだ」といっていた。泳ぎ方を教科書で学んでも、泳げるようにならないのと同じように、問題解決思考も体で覚える訓練が必要だということだった。

 

確かに、この講座の中で、他の受講者とディスカッションしたり課題に取り組むことで、問題解決思考の型が体にしみこんでいく、手ごたえがあった。

 

これが、先に書いた結論の1.だ。講習は高いし、演習が豊富な本は少ないので「グロービスMBAクリティカル・シンキング」はよい本だと思う。

意外とみんな考えてない

講習の期間を終えて、私にはもう1つの気づきがあった。それは、

 

人は問題の答えについては考えるが、問題そのものについて考える人は少ない。

 

講習会の中では、チームで課題に取り組む時間が何度もあった。

皆、講師から出される課題への答えを急いで出そうと躍起になり、講師から教わった方法から逸脱して、とにかく答えをまとめようとする人が少なからずいた。

 

だが所詮(といってはなんだが)講習なのだから答えの正解・不正解よりも、正解を導く期待値の高いプロセスを身に着けることが大切なのに。

 

どうも人には、目の前に問題が提示されるとそれを解決したくなり、そうなると問題の本来の意義を見失ってしまうという性質が、ありそうだと直観した。

自分の役割を振り返る

この仮説を前提として、自分の現実の仕事を見直してみた。

 

私は業務のシステム開発の仕事をしているのだが、クライアントは、仕事をどれだけ自動化できるか、システム操作をいかに楽にできか、といった点に強い興味を持つ。

 

案件を受ける側も、要望に応えるにはどういうシステムを作ればよいかについて躍起になる。

 

一方、その仕事はそもそも必要なのか、システム化することだけが方法なのか、システム化によるデメリットは無いか、という視点に意識が向けられることは少ない。そして後々になって問題に突き当たる。

しかも、後になるほど問題は大きくなっている。

 

こんなことが何度もあり、そのたび「あの時、なんとなくわかっていたのになぁ」とい

う後悔を繰り返していた。

 

そこで、私がすべきことは、目の前の仕事のスピードを上げることではなく、たとえ時間がかかっても徹底的にその仕事について、必要性、効果、デメリットを事前に考えること、そしてそれを関係者が理解できるように伝えること、なのではないかという思いに至った。

ちょっと戦ってみたら爆死した、が・・・?!!

こんなことを考えていた矢先に、とあるシステム導入について見積をしてくれとの相談があったのだが、そのシステムの必要性に疑問を覚えた。直観的なものであったが、なにか根本的な問題への取り組みを避け、対症療法に逃げていると感じた。

 

私は良い機会だと思い、頼まれたシステム検討を半ば無視して、自分の直観的な違和感を明確化するために時間を費やした。

 

システムに期待されていることは何か、現在のどこに問題であるか、過去の資料や様々な人の意見をヒアリングした。

 

その結果、システムに対する期待が立場によって微妙に異なり、中には否定的な意見もあること、システムを構築しても解決されない問題がありシステム以外での取り組みも多分に必要であることがわかった。

 

その内容を率直にプレゼンしたところ、

 

袋だたきにあった。

 

だが、後日システム構築の中止の連絡があった。会議の雰囲気と真逆の結論にとまどったし、理由の共有はなかったが、何かしら私の思いが伝わったのだと思っている。

 

それ以来、自分の役割は周囲が忙しくて、深く考えれていない課題について深掘りし、意義のある情報をまとめることだと確信した。

 

当時のプレゼンは論理の面でも、相手へわかりやすく伝えるという面でも穴だらけのものだったので、その穴を埋めるためのスキルを磨きを継続している。

考えることに意義がある

ここまで、長々と書いたが、私が自身の役割として定義したことが正しい、と言いたいのではない。

 

いまここで本当に必要なことが一体何なのかを、きっちり見つめること、それに対して自身が貢献できることは何か、自分の適性も踏まえて考えることが一番重要だと思う。

 

これは、誰かが明言したことや、職務として明記されていることではなく、自分が考えて至った結論かどうかが重要である。

 

答えを出すことは難しいが、そもそもこういうことを、考えるか考えないかが、大きな差になると思っている。