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天竺めざして、引きこもる。

いまより知的で気楽に生きるために役立つ本を紹介します。

我々を拘束する見えない力の正体は(1) ---「空気」の研究---

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組織は一体何に支配されているか?

組織を支配するのは、制度的な権力者、またはカリスマやインフルエンサーだと思っていた。

 

ところが、ここ数年日本史を学び、なんとなくそう単純なものではないという感触をもち、先日「失敗の本質」を読んだことで、確信になった。

 

そのような具体的なものではなく、もっと我々の社会の奥底にしみこんだ見えない力に組織は支配・拘束されているようである。

 

この謎の力、いわゆる「空気」の正体を暴きたい、そして空気に抗うすべを身に着けたい。そういう思いに至った。 

 

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本書は、『「空気」の研究』、『「水=通常性」の研究』、『日本的根本主義について』、の3章に分かれている、今回は1章の『「空気」の研究』で書かれている内容から、空気による支配が、一体どのような現象であるのかについてまとめる。

 

我々のモノの見方の癖=臨在観的把握

空気による支配が発生しうる土台には、我々のモノの見方の癖が存在する。この癖には2つの要素がある。

 

1つは、感情移入によって物や人などの対象を把握しようとすること。そしてその自覚がなく、対象とそれ以外との区別がつかないことである。本書では、保育器に懐炉を入れた母親の例が挙げられている。若い母親が保育器の中の赤ん坊に、寒いだろうと思って、懐炉をいれて殺してしまったという事件だ。「自分だったら寒いだろう」という想像をそのまま赤ん坊に重ねてしまい、自分と赤ん坊の客観的・合理的な差異に目が向いていないのである。

 

2つ目の要素は、感情移入の絶対化である。感情移入を阻む障害、または阻んでいると空想した対象を悪として排除しようとする心理である。保育器の例を再び引くと、懐炉を入れた母親に対する批判に対し、「母親の善意が通らない社会は悪い。懐炉を入れても赤ん坊が死なない保育器を作らない社会が悪い」といった反論を行い、感情移入を阻むものを排除しようとする心理状態である。

 

このような、感情移入による対象把握とそれを絶対化するものの見方を、筆者は「臨在観的把握」と称している。我々は臨在観的把握により、対象の背後に何かが存在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受け、その得体のしれない影響を「空気」と称す。

 

なぜ、我々に臨在観的把握がしみこんでいるのか

あらゆるものに霊・神が宿っているという、アニミズム的世界観が根底にあるようだ。すなわち、あらゆる対象に対して、その背後に「何か」が宿っているという感覚と、それを神=絶対的なものとしてとらえる発想が、我々の心理の根底にあるのだ。

 

一方、ユダヤ教キリスト教イスラム教などの一神教的な世界観では、絶対的なものは唯一神のみで、それ以外はすべて相対的なものという考えが徹底されている。そのため対象に対して、臨在観を持つことはないのだという。

 

アニミズム的世界観でも、絶対化する対象が次々と移り変わるので、時間経過とともに、相対化がなされる。実際に、明治維新による西欧化、太平洋戦争後の民主化、といったことが近代以降、日本で経験されたことだ。

 

臨在観的把握の問題と克服方法

臨在観的把握では、絶対化する対象がコロコロと移り変わるため「短期決戦連続型」の行き方にならざるを得ない。そのため、長期的な計画を立てることができない。また、逆に移り変わりがなくなると、空気による拘束が固定化・永続化し危険である。

 

このような問題の克服、すなわち空気支配から脱却するためには、絶対化されているものへの対立概念を持ち出すことで、空気を相対化する必要がある。かつての日本ではそのために、「水を差す」という方法があったが、現代の社会ではそのままでは使えず、新しい「水」の発見が必要であるようだ。

 

次回は、第2章『「水=通常性」の研究』で語られている「水」についてまとめたいと思う。

 

「空気」の研究 (文春文庫)

「空気」の研究 (文春文庫)